大判例

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高松高等裁判所 昭和51年(う)167号 判決 1976年10月05日

被告人 大島慶子

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金二千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、記録に綴つてある川島区検察庁検察官事務取扱検事青木義和作成名義の控訴趣意書(第七葉表の第七行目に「右方一九・五メートル」とあるを「右方一八・三メートル」に、第八行目に「右方二五・六メートル」とあるを「右方二九・一メートル」に各訂正)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

所論は、要するに、原判決が刑法二一一条前段に該当する本件業務上過失傷害の公訴事実について被告人に無罪を言渡したのは、法令の解釈適用を誤つたもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討する。

原判決は、本件公訴事実中被告人の過失の点につき、その証明がないことに帰するとして、その理由を次のとおり判示する。すなわち、被告人は交差点の直前で一時停止し、カーブミラーで交差道路の右(西)方を見たが、その見とおせる範囲は五九メートルであり、かつ、交差道路における最高速度は時速四〇キロメートルに制限されているから、右(西)方より進行して来た岡田由宏運転の自動二輪車が制限速度を遵守している限り衝突等の危険はあり得ないことである。のみならず、カーブミラーによつて見とおせる範囲は、時速四〇キロメートルの進行車両の制動距離の二倍半以上に及んでいるのであるから、その範囲外にある車両は、特別の事情がない限り、交通法規に従い、最高速度の制限内で進行して来るものと信頼すれば足りるのであつて、本件岡田由宏運転の自動二輪車のように、あえて交通法規に従わず、最高制限速度を約二〇キロメートルも超過した無謀運転車両のあることまで予測して行動する必要はないというべきである。してみれば、被告人が交通整理の行なわれていない本件交差点に侵入するに際しては、右(西)方の見とおしが著しく不良であり、かつ、交差点の存する県道が優先道路であること等から、右(西)方路上の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのはいうまでもないが、その程度は、被告人が現に行なつたように、交差点の直前で一時停止し、カーブミラーで右(西)方路上の安全を確認すれば足り、更に徐行などしてそれ以上に安全確認を尽すべき業務上の注意義務があるとするのは、被告人に対し過重な注意義務を課することになつて相当でないから、本件衝突事故の責任を被告人に帰せしめるのは酷であるというほかない。従つて、本件公訴事実については、その過失の点につき証明がないことに帰するとして、被告人に無罪を言渡したのである。

ところで、被告人の原審および当審公判廷における各供述、原審証人岡田由宏の原審公判廷における供述(後記信用しない部分を除く。)、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書、岡田由宏の司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の実況見分調書および捜査報告書(二通)を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  本件交通事故発生現場は、アスフアルトで舗装された幅員七・一メートルの県道土成徳島線(以下県道という。)が南方に張り出してカーブしながら東西に通じ、これに北方からアスフアルトで舗装された幅員二・九メートルの町道(以下町道という。)が交わつたT字路の交差点で、交通整理が行なわれておらず、その北西角付近には人家、庭木、電信柱等があり、また、その付近から右(西)方に道路のカーブに沿つて人家のブロツク塀が設置されているため、町道から交差点に進入する車両からの右(西)方県道上の見とおし、ならびに、県道上を東進して来る車両からの町道の存在および状況の見とおしを著しくさまたげている。交差点北西角付近の町道上には、町道を南進して交差点に進入する車両に対して一時停止の道路標識が設置され、また、北外側線から一・七メートル手前の町道上に停止線が引かれている。右停止線から交差点を隔てて一〇メートル南方の道路端に直経一メートルのカーブミラーが設置されていて、町道から交差点内に進入する自動車のために右(西)方県道上の模様を映し出すようになつている。県道は、中央線および外側線をもつて車両通行帯が設けられ、東行(北側)車両通行帯の幅員が三・二メートル、西行(南側)車両通行帯の幅員が三メートルである。

(二)  町道上の停止線からカーブミラーによる右(西)方県道上(北側線から一メートル内側の地点)の見とおしは五九メートルの距離まで可能であり、その状況は交差点内の東行(北側)車両通行帯の中央付近まで進行した地点からでも変りはなく、肉眼による右(西)方県道上(同前の地点)の見とおしについては、停止線からは一八・三メートル、それより北外側線との中間付近まで進行した地点からは二九・一メートル、北外側線上の地点からは四〇・八メートル、それより〇・五メートル進行した地点からは四四・二メートル、一メートル進行した地点からは四八・一メートル、一・五メートル進行した地点からは五一・四メートルと順次拡大されて行き、また、カーブミラーにより東進車両の遠距離間隔は確認可能であるが、速度や動向等については十分に確認しがたい。

(三)  県道は、車両の交通がひんぱんな道路であり、かつ、最高速度を時速四〇キロメートルに制限されているが、右制限速度を遵守している車両はむしろ少なく、時速一〇ないし二〇キロメートル程度超過している車両の通行が最も多く、時速六〇キロメートルを超過している例さえ必ずしも稀でなく、被告人においてもそのような交通事情については日頃見てよく知つていた。

(四)  被告人は、軽四輪貨物自動車を運転して町道を南進し、停止線をやや越えた辺りで停車し、肉眼で右(西)方を見、次いで前方のカーブミラーを見たところ、右(西)方の県道上には車影が認められなかつたので発車し、肉眼で左(東)方を見ながら時速約一〇キロメートルで進行して東行(北側)車両通行帯の中央付近に進入したとき、再度カーブミラーに視線をもどすと、岡田由宏運転の自動二輪車が東進して来るのが映つていたので、直ぐ肉眼で見て、自動二輪車が東行(北側)車両通行帯の左寄り付近を通行し、かつ、かなり接近している(約二九メートル)こと等から衝突の危険を感じ、急遽ハンドルを右に切つて右折しながら進行を続け、中央線付近に自車の後部が差し掛かつた際、その右側後部付近と右自動二輪車の前部が衝突した。

(五)  一方、岡田由宏は、時速約六〇キロメートルで自動二輪車を運転して通勤の途上、前(東)方に左(北)方から町道が交わつたT字路の交差点があるのをかねてから承知していたが、折から朝が早くて路上の交通が比較的閑散であり、かつ、自車の進行している県道が優先道路なので、町道から交差点内に進入しようとする車両があつても自車に道を譲つてくれるものと考え、同一速度のまま接近して行つたところ、町道から交差点内に進入し掛けている被告人運転の軽四輪貨物自動車を認め、衝突の危険を感じて、急遽ブレーキを踏み、右にハンドルを切り、やや右斜め前方にスリツプしながら、交差点内の中央線付近で前記の衝突をするに至つた。

以上の事実が認められ、原審証人岡田由宏の原審公判廷にけおる供述中右認定に牴触する部分は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定によれば、県道は最高速度を時速四〇キロメートルに制限されているが、それが遵守されている例はむしろ少なく、時速一〇ないし二〇キロメートル程度超過して進行する車両が最も多いのに照らし、いわば最高速度を右の程度超過したところで交通秩序が成り立つているにひとしく、このことは被告人においても日頃よく承知しているところであるから、右のような交通の現実を無視して、県道上の車両はすべて最高速度の制限内で進行して来るものと信頼して行動すれば足りるとするのは、いたずらに交通の危険を招くおそれがあつて相当でない。また、カーブミラーによつて確認できるのは、遠距離間隔にとどまり、速度や動向等重要な点については十分に確認しがたいから、路上の安全確認のためには、肉眼による注視を主体とすべきであつて、カーブミラーのみに頼ることは極めて危険であつて妥当でない。更に、町道から交差点に侵入するに際して、右(西)方の県道上の見とおしは著しく不良であり、かつ、県道は優先道路であるから、町道から交差点に進入する車両は道路交通法上徐行し、県道上の車両の進行を妨害してはならない義務が課せられており、これに反し、県道上の車両には右のような義務はない。そうすると、被告人は、町道から交差点に進入するには、停止線で一時停止し、カーブミラーで右(西)方の県道上を見るだけでは足りず、更に徐行して右(西)方の視野を拡大させながら、肉眼での見とおしが十分可能な地点まで進行して、右(西)方の県道上における安全を確認すべき業務上の注意義務があるといわなければならない。従つて、岡田由宏にも、最高速度を時速二〇キロメートル程度超過して進行して来た点において過失があることを免れないとはいえ、県道上における右の程度の速度超過は日頃多く行なわれているところで、被告人の日常経験によつても決して予測外のものとはいえないから、原判示のように、信頼の原則の適用を認めて、被告人に右業務上の注意義務を怠つた過失があることを否定するのは、余りにも交通の現実に沿わない結果になつて相当でない。

以上のような次第なので、原判決が本件公訴事実につき過失の点の証明がないとして、被告人に無罪の言渡をしたのは、所論のとおり、法令の解釈適用を誤つたもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当裁判所において直ちに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五〇年一二月二七日午前七時一〇分ころ、軽四輪貨物自動車を運転して、徳島県板野郡吉野町柿原字植松一の三先の一時停止の道路標識が設置され、左右の見とおしの困難な交差点に南進して差しかかつたから、同交差点の直前で一時停止して左右道路からの車両の有無など交通の安全を確認すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、同交差点の直前で一時停止したが右(西)方の安全を確認することなく、漫然時速約一〇キロメートルで右交差点内に進入した過失により右(西)側の道路から進行して来た岡田由宏運転の自動二輪車に自車を衝突させ、よつて同人に対し加療約一週間を要する腰部打撲症等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号、二条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審および当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 越智傳 角谷三千夫 上野利隆)

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